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戦争での体験をお話いただける方を、心よりお待ちしております。
〜Nakaiの手にあった銃剣をとりあげるとNakaiは涙を流し断念した。〜
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語り部:マリア・バンソン(ナナイ)
性別:女性
生年月日:1901年5月15日
現住所:パンガシナン州 スワル
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マリア・バンソン(ナナイ)が母から聞いた話
Captain Nakai
Nakaiは第二次世界大戦中に日本兵としてバターン戦下にいた。Captainとつくぐらいなので
ある程度上の位の兵士だと思われる。
戦時中、ある日本兵がフィリピン人を殺そうとした。それをナナイの祖父が止めようとした。
その時,日本兵は祖父を殺そうとしたがNakaiが「はぁ!!!」と強い声をあげ、
その兵士を殴りやめさせた。
祖父は助けてくれた2日後、お礼に食料、生のバナナ等を持っていった。
しかし、彼は食べなかった。部下にも食べさせなかった。唯一生のバナナだけ食べた。
おそらく毒など恐れて食べなかったのではないだろうか。
日本兵はよく「バカヤロウ」、「ドロボウ」と言っていた。
ある日(いつかわからないけど,41年?)Nakaiは右足を失い地面にたおれていたのをナナイの母が見つけ、止血をして助けた。
そのとき彼は「死なせてくれ」とタガログ語で言ったが自宅に連れて帰った。
日本の敗戦を知ったとき、Nakaiは正座をして切腹しようとした。
しかし、ナナイの母が世話をすることを約束しフィリピンで生きることを説き自殺をやめさせた。Nakaiの手にあった銃剣をとりあげるとNakaiは涙を流し断念した。
フィリピン人にも見つかったら殺されるため、キコという偽名を使い舌がなくしゃべれない人を装う。1940年〜47年の七年間かくまっていたという。
その間、Nakaiはよく何かの写真(家族?)を見て泣いていたという。夕日の下で。
毎日,太陽の下でひざをつき何かを考え、祈っているように見えた。
Nakaiはその後マラリアで死んだ。遺体は、布にくるみバクラ川の対岸に埋葬した。
ナナイの母は他のフィリピン人が日本人を悪く言うといつも「not all」と言った。
それはNakaiとの出会いがあったからだ。この話をしていたときナナイの母は泣いていた。
このナナイは1944年生まれ 60歳、ナナイの母は1901年5月15日〜1991年5月8日 享年90歳である。
ナナイは、母や祖母からその話を聞いていたため私達を家族の一員として迎え入れてくれた。
聞き手:橋本健太郎、吉田尚史、JR、山岸達矢
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