Love letter from SUAL


Love letter from SUAL No.1
発行日:2001年2月10日
発行: 特定非営利活動法人 ケアリングフォーザフューチャーファンデーションジャパン(CFF)


8回キャンプ(2000年7月22日〜8月4日)では日本人一〇人とフィリピン人七人の総勢一七人のキャンパーが「熱い」二週間をともに分かち合いました。ワークは石垣つくりのお手伝いと道路整地。ある夜、満点の星空の下でお互いの夢を語り合ったのを思い出します。

9回キャンプ(2000年8月16日〜29日)では日本から十八人、フィリピンからは八人がキャンパーとして参加。子どもの家周辺の石垣作りと植林を行いました。個性溢れる個々がグループになって結集した時に、各々のパワーが何倍にも膨れ上がって解き放たれたキャンプになりました。

笑顔を心の中に

このCFFのキャンプに参加して、いろいろな事を学び生きる大切さを知った。ピースセミナーでの話しは自分が知らない過去があり、日本人の残忍さが良くわかった。
けれど、フィリピン人はあんな過去があったのにもかかわらず、我々、日本人をとても親切に受け入れてくれる。もし自分が逆の立場だったら絶対に親切にはできないと思う。それに、フィリピン人は、お金がないけど、みんなが助け合って、一生けん命に生きていると思う。日本人は、ほしい物があればすぐに手に入るし食べ物だって、とても豊富だし。このことを考えると、日本人は無駄なお金を出していると思う。自分はその内の一人だから、日本人一人一人が気が付けば、日本だって今以上に良国になると思う。フィリピンに来て、自分の生き方が、大きく変化したと自分で思うようになった。今は、自分はフィリピンで勉強しているけれど、本当にみんなあたたかい目で見てくれてとても安心している。
辛い事があったら、スアルの子ども達の笑顔を見ると心がとても和んで、立ち直れる。この笑顔を日本人に見せてあげたい。見たら、必ず、暗い社会から明るい社会に変わると思う。だから自分は、フィリピン人の笑顔を心の中にしまって、いつでもその笑顔が見えるようにしている。(9回キャンパー並木悠貴)

美しいスアルで平和について考える

 「スアルを訪れた人たちがこの景色や人を気に入ってくれること、それが私の幸せだ。」とワークの最中、満面の笑みを浮かべたタタイ(フィリピの語でお父さん。子どもの家スタッフのビリーさんのこと)が教えてくれた。
 その言葉通り、美しいスアルの地で、すばらしいフィリピン人・日本人キャンパーたちと共に過ごして気付いたこと。数え上げたらきりがない。
 お互いの価値観を尊重しあえば、国境なんて関係ない。
 と、同時に話を進めていくうちに出てくる「貧しさ」という越え難い壁の存在も知った。
 けど、日々誇りを持ちながら生きているフィリピン人たちとつきあってみると私が大学で学んでいる開発・援助というものは一体なんなんだろう、という疑問も湧いてきた。
 また、ワークの前後には戦争の傷跡を見てまわる機会もあった。知らないことばかり。戦争を経験していない私たちがしなければならないこと、それは戦争が何を残したか、をきっちり知ること、そして同じことを二度と繰り返さないことなのだろう。
 今回のキャンプで得たものは計り知れない。これらを無駄にせぬよう、肝に銘じて生きていきたいと強く思う。
(8回キャンパー水落沙織里)

Medical Mission Report

 八月十九日(第九回キャンプ中)に、スアルの子供の家で、バキアンに住む人々を対象とした健康診断を行った。医師団はフィリピン人医師二名、看護婦数名、そして日本から、福田医師、九回キャンパーからの手伝いが数名。患者数は一二六人。検診には四ヶ月の乳児から八三歳の男性まで、幅広い年齢層の村人が参加した。彼等の症状は様々で、不十分な設備での診察中、福田医師が頭を抱える姿がしばしば見られた。また、日本とは全く違うフィリピンの社会環境を目の当たりにし、まさに"カルチャーショック"に打ちのめされていた。 
 しかし、今回はスアルの抱える医療面での問題、また、村に子供の家を建てるCFFとして取り組むべきことに気付くのにとても重要な機会であった。もちろん、私達は医療に関しては無知で、出来ることも限られている。しかし、出来ることもたくさんあることも分かった。CFFのmedical missionでは、まず、現地の医療状況、現地人の求めていることを知る事から始め、自分達のできる範囲で関わりたいと思っている。
例えば、福田医師をアドバイザーにスアルでの衛生教育や、キャンパーとの勉強会。また、CFFの活動の目標の一つに"自助努力"という言葉がある。村の問題には村人と協力し合って、取り組みたいし、そのように促したいと思っている。スアルの村人の抱える問題は大きく、根深い。(主な原因は貧困、衛生環境の不整備、フィリピンの医療事情が挙げられる。)実際に、私は診察中に何度も自分の無力さを感じ、このミッションに疑問を感じた。今回の診察で"私"は何が出来たか?きっと何も出来ていない。しかし、"私達"は何かができると思っている。今回の健康診断はその何かの一歩であった。何かとは何か?まだ、形にはなってはいないけど、その何かは今後の私達の活動に見られると思う。

スアルにおける村人とCFFのこれまでの歩み

○CFFの子どもの家建設をスアルにて行うこととなる
●1回 1998年12月21日〜1999年1月3日:柵づくり  
●2回 2月10日〜23日:柵づくり、道路づくり
○キャンパーとしてスアルの子どもたちが参加するようになる
●3回 3月20日〜4月2日:道路整地
○ 現地ワーカーとしてスアルの村人に働いてもらうことになる
●4回 7月26日〜8月8日:道路整地
● 5回 8月15日〜28日:駐車場づくり、下水用・ポンプ場用穴掘り
○1999年11月「子どもの家」第1棟完成
●6回 2000年2月22日〜3月6日:「子どもの家」ペンキ塗り
●7回 3月9日〜3月22日:駐車場整地
●8回 7月22日〜8月4日:石垣づくり
● 9回 8月16日〜29日:石垣づくり、植林
○2001年宿泊のできるセミナーハウス完成!
(●はキャンプ日程とワークの内容 ○はスアルでの主な出来事)
CFFのキャンプを積み重ねるごとにスアルの村の人々との絆も紡がれています。

さよのスアル滞在日記

フィリピン・スアルに半年間住み込みでボランティアをしている、看護婦の卵、和田さよりさん(さよ)の現地からのエッセーです。

 物事を知ろうとするとき、人は必ず何かと比較する。例えば、「私は背が高い」と思っているとする。これは誰か特定の人、またはその人を取り囲む多くの人と自分を比較するから言えることではないだろうか。これは身長や体重など数字で表せるものだけなく、人の長所短所を考えるときも同じではないかと思う。
 私は去年の夏、CFFキャンプに参加してスワルと出会った。様々なことに悩んでいた私が、日本の生活を離れ、フィリピンでの半年間の生活を決めたとき、CFF代表の二子石さんは私に釘をさした。「二週間のキャンプでは、フィリピン人がとてもいい人に見えただろう。それが全てだとは思ってはいけないよ。長く生活すれば、彼らの長所はもちろん、短所も見えてくるものだ。」確かにその時の私は、フィリピン人の良いところしか見えていなかった。
  それに気づいたひとつの出来事がある。小学生の男の子で一人、片手の指の少ない子がいる。いつも一緒に遊んでいるので、周りの子ども達も自然にそれを受け入れていると思っていた。しかし、その男の子の偶然いないときがあった。その時に、明らかにその指のことが話題上がっており、「cut,cut」笑いながら、悪く言っているのがわかった。子ども達は彼を全て受け入れていた訳ではなかったのだ。どこかで彼を見下していたのである。
 確かにこれを目撃したとき、私はショックであった。しかし、どこか安心したような気もする。フィリピンの人は特別じゃない。私と同じ長所も短所も持った人間なんだと。そして、フィリピン人がもっと身近な存在になったと感じる。国民性が違うと、持っている長所も短所も違う。お互いを比較し、良いところを吸収し、向上し合えたら、私達はもっと成長できるのではないかと近頃考えている。
(和田さより)

「さよのスアル滞在記」


スカラー紹介 CFFのフィリピン人奨学生を紹介するコーナーです。

 去年の12月1日から9日間、私は同じ第7回キャンパーの亜紗子と一緒に、フィリピンを訪れました。キャンプ地であるスアルにつくと、子どもの家ではクリスマスに演じる劇の練習が行われていました。その中にはCFFのスカラーであるジェフリーの姿もありました。

ジェフリーは21歳。大学では情報処理を学んでいます。第7回キャンプの時には、後ろ向きにかぶった帽子がトレードマークでしたが、今回9ヶ月ぶりにあってみると、髪が茶色くなっていて、右耳にはピアスをしていました。ジェフリーのすごいところは、自己流で日本語をマスターしつつあることです。彼の宝物は、4回キャンパーのてつさんにもらった、漢字練習帳。一度も使わずに大切にもっています。日本の本を読むために、二子石さんや周りの人に聞いたり、辞書を引いたりして、それは一
生懸命に勉強していたそうです。7回キャンプのときにも日本語で私たちを笑わせてくれましたが、今回会ってみると私たちが話していることも理解できるくらい、彼の日本語は進歩していました。そんなジェフリーは亜紗子にこんな質問。「日本で仕事をしたいんだけど、いい仕事ある?」明るくて努力家、順応性もあるジェフリー。今回の劇でも、喜劇の役になりきってみんなを笑わせていました。彼なら、いつか夢を実現させることでしょう。
(小用さなえ)

フィリピンキャンパーが日本について思うこと

 私は第七回フィリピンワークキャンプに参加しました。キャンプでは様々な事を経験をし、キャンプに参加したことで、ここには書ききれないほど、これからの自分の糧を得ました。キャンプが終わった後、また、いつかバギワンに訪れたいと強く思い、今年の九月九日から一〇日間、フィリピンを訪れ、バギワンに三日ほど滞在しました。
 今回は、キャンプとしてではなく個人で訪れたので個人的に話をする機会が多くありました。一番多く話をしたのはジェイクでした。バギワンについたその日にジェイクに「家に泊まりにこない?」と誘ってもらい、初日の夜はジェイクの家で過ごしました。その時に、私はジェイクにどうしても日本人の印象についての本音を聞きたくてそれを質問しました。すると、「お金持ち」というのが、ジェイクが日本人に対して持った印象だということでした。「お金持ち」という言葉は私の中では響きが悪かったのですが、もちろん、そんな嫌な意味を含めてジェイクも言っている訳ではないという事はすぐわかりました。なぜそう思うのかと聞いたところ、外国にいける時点で自分から見るとお金を持っているんだということでした。
 キャンパーの皆さんもご存知の通り、フィリピンキャンパーは日本にとても興味を持っています。みんな口々に、「日本に行きたい」と言います。しかし、ジェイクが言っていましたが、航空券を買うお金なんてどこにもなくて、生活する最低限のお金しかないのが現状なのです。
 また、ジェイクは仮に日本に出稼ぎをしに行っても雇ってくれるところなんてないんじゃないかと言いました。すなわち差別的待遇をされるのではないかということです。以前よりも、外国人労働者に対しての差別がなくなってきているとはいえ、その名残はたくさんあります。例えば、私の働いているケンタッキーフライドチキンは外国人は雇わないのです。理由を店長に聞いたところ、「本社の命令」ということを言っていました。
 このように、まずは日本にくるためには航空券、滞在費など多くのお金が必要になります。それをクリアしても、日本で働いて生活することは至難の業です。こうした現実的問題を彼らは知っているのです。また、日本人キャンパーなどの影響も受けて日本にとても行きたいけれど必要なお金がなくて行けない、けれど、日本人キャンパーはこようと思えばお金をためてこられるという大きなギャップに悩んでいるという事実もあります。フィリピンキャンパー全員がそうとは限りませんが、そうやって悩
んでいる人もいるでしょう。また、フィリピンではお金をためようと思っても、それ以前の問題で、職に就くことがとても難しいともジェイクは言っていました。
 二子石さんがおっしゃっていましたが、フィリピンの最低賃金は一日一六〇ペソと法律で定められていますが、実際は一二〇〜一三〇ペソの賃金しか払われていないのが現状だそうです。では、訴えればいいのでは・・・と考える方もいるかもしれませんが、そうでないと雇ってくれる所がどこもないのだそうです。
 私は、ジェイクからこの話を聞いたとき今の日本のあり方について疑問を感じました。もっと、外国人を受け入れる環境を作るべきです。もちろん、外国人をサポートするNPO・NGO団体はいくつもありますが、国が消極的姿勢をとれば根本は変わらないと思います。
 最後に、このような事実があっても決して日本人が引け目を感じてはならないということです。実際、バギワンの村の人々は親切な人ばかりです。妬むような行動をとったりなどしません。ですから、私たちキャンパー、またキャンパーでない人であっても、まずやらなければならないことは何か対策を練ったりすることではなく、日本の文化や現代の日本社会などを伝えることが一番大切なことであると思います。そのような草の根レベル的なことを積み重ねることで、対策を練る土台が出来上がるはずだと私は思います。
 その意味で、今私たちCFFが行っていることはとても意義のあるものであり、今後も続けていかなければならないことです。もちろん、CFFの内輪でやっていては意味がなくなってしまうので多くの人に伝えていくことも周知のように重要なことです。これらを踏まえて、これまで以上にバギワンの人々やフィリピンキャンパーとの相互理解を深めていくことが大切であると思います。(大前文人)

スワル現地報告 2000年12月現在 報告者:二子石章

九月末からクリスマスソングがスタートし、町々のクリスマスデコレーションが日一日と賑やかさを増す。一二月ともなれば賑やかさは最高潮に達する。今年は異常気象のせいで、一二月というのに二度も台風に見舞われ、収穫を期待されていたマンゴ業者にとっては大打撃である。

土砂崩れ防止の石垣つくりと排水溝の応急処置完了

 さて、フィリッピンのCFFでは、九月のワークキャンプを終え一息し、現在は大雨 と台風で土砂崩れをおこした敷地の修復と大量の雨をガイドする排水溝の工事も一段落し一応の応急処置は完成したところです。

第三棟目の建設はじまる

 現在二棟目の建設にはいっています。建設場所はCFFの敷地内で一番低いところです。駐車場敷地の奥にあたる。一二月二日には村の人の参加をえて棟上式を行いました。現在の場所を孤児院にし、第二棟目はキャンパーの宿舎や、訪問者の宿舎、現地の人の研修会場にしたいと思っています。日本の経済状態が落ち込み、なかなか寄付が集まりにくい現状では孤児院の運営もかなり難しくなってくると思いますので、自活できる孤児院の運営を考えることは急務となって来るでしょう。そのための一助になることを確信した上での建設です。

CFFフィリピンの職員採用決まる

 準備をすすめてきた孤児受け入れがいよいよ始まります。CFF側の手続きはすべて完了、あとは行政側にゆだねられていますが、その時期が近づいていることは確かです。今の予想では一二月中旬には二、三名の入所が考えられます。そのために以下の方々を私たちの仲間として正式に採用いたしました。
レルマ・ピオール(21歳)女性  総務・会計担当、カウンセラー補佐
ジェアリー・ボコ(22歳)男性  カウンセラー(住込み)八名になった時点で、女性のカウンセラーを採用する予定
ビリー・ピオール(48歳)男性  園内のケアーテイカー
賄婦未定(孤児が五名を越したら採用)
その他、さよりのようなボランティアを定期的に受け入れることを考える。

デーケアーセンターのお手伝い始まる

さよりさんのボランティア活動がいよいよ始動し始めました。村の中にある会場を利用して、こちらから出張サービスをしています。村で選ばれた先生と協力しながらの活動です。語学などの難点はあるようですが先生と協力しながらがんばっています。

クリスマスツリーCFFに飾られる

子どもの家ができてはじめて、敷地内に手作りクリスマスツリーを飾ることができました。製作者はスカラーとさよりさんと悠貴君たちです。
高さ3メトールちりばめた電飾光は九〇〇個にもなりました。

CFFのクリスマス開かれる

一二月一五日にケアーセンターのクリスマス会、パペットの演出および小さなプレゼントとサンタクロースの演出を行う。
一二月二三日CFFクリスマス会 もしもキリストが二〇〇〇年一二月に生まれたら!と題して喜劇を行う。村人を招待する予定で現在猛特訓中。加えてさより、悠貴君はタガログ語の猛特訓中です。



ニュース
特定非営利活動法人になりました。口座名の切り替えのあと、2001年度会費入金のお知らせをお送りいたします。
・第10・11・12回ワークキャンプが行われます。それぞれまだ定員に空きがあります。知り合いに紹介してください。くわしくはホームページか事務局まで。

編集後記
半年に一度スアルの状況を伝える通信を「ラブレターフロムスアル」の名前で発行することになりました。春、夏キャンプの後に一度ずつの予定です。次は5月ごろの予定です。
記者・編集者募集しています。(よしお)

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