世界の「子どもたちの支援」と「青少年育成」、NPO法人CFF(シーエフエフ)

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Caring for the Future Foundation Japan

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組織について

 

私たちの団体が発足したのは1996年。2001年にはフィリピンに「子どもの家」第一棟が完成しました。CFFフィリピン「子どもの家」からはすでに多くの子どもが巣立っていっています。ある子は大学に通い、ある子は現地理事のもとで暮らし、ある子は職に就き自立し、ある子は他の施設に移っていきました。それぞれに自身の人生を歩んでいます。
団体としても、任意組織としての発足以来、さまざまなことがありました。団体名の変更や現地法人の設立、日本でも法人格の取得等、そうしたことは現在を創るとても重要な出来事ではあります。しかし、私たちCFFにとって最も大切なものは、設立に関わった多くの方々のCFFにかける思い、そして、それを引き継いできた多くの若者たちの思いであり、それこそがCFFの中身なのです。

このCFFが設立する数年前、偶然にも、難しい状況にある子どもたちの問題に取り組んでいた3人が出会い、将来、子どもたちの支援活動をともに起こすことを共通の夢として誓い合いました。
フィリピン・カラオカン市のタラ村においてハンセン病の完治者である両親から生まれ、自身も小さいときから差別の中にありながら、被差別意識に悩む同村の青年たちに音楽を通して自信と勇気・夢を与える仕事をしていたラモン・デプソイ氏(通称モンチ、当時21歳、元ホリーロザリカレッジの教諭)。

フィリピン・パンガシナンYMCA総主事の職に従事しながら、特にフィリピンにいるたくさんのストリートチルドレンに関心を寄せていたエドラリオ・カンポス氏(通称ベボット、当時30歳)。
そして、日本では、カトリックの神父・岡氏の指導を受けながら、日本の青少年、特に先が見通せないツッパリといわれる青少年の問題に取り組んでいた私自身(当時43歳、所沢にYMCAを作る運動体「武蔵野児童文化研究会」事務局長)。
3人は誓い合ったその夢をそれぞれの現場に持ち帰り、私は日本で「私たちに何ができるか」を問いかけ続けていました。そうした中、教会に所属する一人の老人(二俣恵次郎氏)が現れました。彼は私たちの小さな団体の経理事務をボランティアで担当してくださったのです。彼はそれだけでなく、CFFの設立に向けて多額の寄付を下さいました。もし、彼のこうした後押しがなければ、この話はただの若者の夢物語で終わり、現在のCFFはなかったと思います。彼の夢は、青年たちの夢の実現を後押しすることでした。ここで老人と若者の夢が重なり合ったというわけです。
同氏はよく次のように言っていました。「長年、何か社会のためにやりたいと思ってきたが、できず終いでここまできた。だからその思いを青年に託したい、応援したい。ただし、私が応援するにあたって守ってほしいことがある。私が応援していることを誰にも伝えないでほしい、どうしても伝えたいのなら、私が死んでからにしてほしい」と。

二俣氏はすでに他界されましたが、彼が神さまに捧げたお金の果実は、CFFの青年たちの働きを通して、今もなお、神さまの御用のために用いられていると私は確信しています。2007年にはマレーシア・ボルネオ島にも活動拠点ができました。これらの活動が、すべて神さまのご計画のうちにあることを信じながら前進するほかありません。
老人と若者の思いが、次の世代に引き継がれていきます。青年たちの夢が次の世代を呼び、CFFの活動は今も続きます。高齢社会のただ中にあるわれわれ世代の方々にも、若者とともにあなたの夢を実現しませんか、と呼びかけたいと思います。

最後となりましたが、CFFの設立に当たって、多くのご指導をいただいた埼玉YMCA職員時代の先輩・大場利治氏(元埼玉YMCA総主事・現群馬社会福祉大学教授)や、多くのことを学ばせていただいたYMCAで働く世界の仲間たちに対し、心から感謝申し上げたいと思います。また、これまでの間、神さまの恵みを受けながら、また多くの方々のご支援をいただきながら、この活動が続けられたことに対して、この場を借りて心より御礼を申上げます。

CFFジャパン創立者 二子石 章(ふたごいし あきら)

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